2009年8月1日〜3日
旅は子連れ・2009夏の旅
4年前にも行った稚内のオートキャンプ場へ行ってきましたよ〜
道の駅にもたくさん寄ってきました
AM8:00出発
すぐに高速に乗り10分ほど走ったところでカメラを忘れたことに気付く( ̄▽ ̄;)!!
次のインターで降りて、家に戻る・・・
結局AM9:00の出発になりました。
高速やバイパスを使って一気に名寄まで走りました
最初に寄ったのは「道の駅・もち米の里☆なよろ」です
ここはね、ソフト大福という特産品があり、いろいろな餡が入った大福もちがあるんです
我が家はチーズとメロンとマスカットの大福を買いました
どれもおいしかったです♪


大福で小腹を満たし、北へ進みます
次は「道の駅・びふか」「道の駅・おといねっぷ」に寄り
さらに北へと車を走らせると・・・
『北海道命名之地』と書かれた看板発見!
ちょっと寄ってみることにしました
看板の矢印を頼りに砂利道を進むと・・・

天塩川が現れ、そこに北海道命名之地の碑がありました
え〜とですね、松浦武四郎という方が北海道と名付けたそうですよ
『安政四年、武四郎はアイヌの人達と共に天塩川を探査し「天塩日誌」として書き残しました。
天塩川探査の帰途中、オニサッペ(筬島の鬼刺川付近)で、故事に詳しいアイヌのアエトモ長老から話を聞きました。
(アイヌの通称である「カイナ」の「カイ」とは、この国に産まれた者ということで「ナ」とは、貴人をさす尊敬の言葉である。)
これを聞いた武四郎は「アイヌの人々は、自らその国を呼ぶとき、加伊(かい)と言い、
アイヌはひげが長いところから蝦夷(かい)の字を用いたが、
もともと蝦夷地の蝦夷(えぞ=かい)とは加伊(かい)のことである。」と考えました。
明治二年七月十七日、武四郎は道名に関する意見書を提出。
候補に、日高見道(ひだかみどう)・北<加伊道(ほくかいどう)・海北道・海島道・東北道・千島道の六道を提示、
この中から「北加伊道」が採用され「加伊」の字に北方の海に通じる「海」をあて「北海道」名が誕生しました。
現在の「北海道」の名は、まさにこの地でアエトモ長老と出会ったことから生まれたのです。』
はい、そうなんだそうです。
この天塩川で武四郎と長老が出会い話をしたんですね。


北海道命名之地を後にして、「道の駅なかがわ」に寄り、
北緯45度を通過し、無事に道立宗谷ふれあい公園オートキャンプ場に到着しました〜


着いてすぐ炭をおこし、バーベキューして食べました
母もビールをおいしく飲み、ちょいと酔っ払ってこの日は終了しましたzzz
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